2010年10月19日火曜日

パッケージの消滅

かつて、アートはアート、音楽は音楽として存在し、

たとえば、音楽はLP→CDなどと姿を変えながらも

パッケージとしてこの世に存在した。

今やあらゆる情報生産物はデジタルデータに置き換えられ、

配信・共有・消費される。

身の回りにあった、そういった文化〜音楽、書籍、写真は、

あるものはiTunesに、あるものは青空文庫に、写真共有サイトに置かれるようになり、

物理的な面積を必要としなくなった。

所有そのものに価値を見出さなくなったとき、

クルマをシェアリングし、

旅先でバイクをレンタルし、

そのときの「使用時間」に対価させる、という生き方になる。

日本の人口は減少し、高齢化し、

ボクらは新しい生き方、新しい価値観を持たなければいけない。

シェアしようと思えばそれに応えるインフラがあり、

自分の所有物はできるだけクラウドに置く。

そういったアクセスポイントを器用に使いこなし、

でも、自分はできるだけ裸に近い状態で存在する。

自分自身(頭の中や肉体)はシェアできないから、

そこにはお金も時間もかけて磨く。

そんな矜持を持ったライフスタイル、

この辺にこの先の生き方についての突破口があるのかもしれない。

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