2010年11月12日金曜日

民主「政治主導」の極意は「責任回避」

「三権分立」を否定し「政治主導」で「脱官僚」の行政運営をするというのが民主党の基本方針である。


昨年10月9日に行なわれた連合結成20周年レセプションに出席した菅直人は、こう述べていた。




「国会で多数の議席をいただいた政権党が、立法府でイニシアチブを取るだけではなく、内閣も組織する。あえて言えば、立法権と行政権の両方を預かる。そして4年間のなかでその結果を、次の選挙で国民の皆さんに審判をいただく、そういうかたちの鳩山政権が誕生したことによって、これまでとは全く風景の違う政治の姿になった」




「立法府」とは言うものの議員立法を禁止しようとしたり、党職員を内閣府に事実上「天下り」させたり、党の重職(政調会長)にある者が閣僚を兼務したり、民主党議員らによる「事業仕分け」で会計検査院の仕事を奪いながらも仕分け結果の責任を負わない等々、この1年間で民主党のデタラメなやり口には呆れ果てるものがあった。


行政府と与党を一元化しようとし、司法の権限も「政治主導」でコントロールしようと目論んでいる民主党政権は、「三権分立」を形骸化して独裁政治を目指している。


これは、かつてヒトラー率いるナチス党が権力を掌握した過程そのままである。そのナチスを熱烈に支持したのは、ドイツの一般国民。特別な階層ではなかった。


そして民主党政権の行く手には、ナチスと同じ国家社会主義への道が待っている。もっともナチスは自国の国権強化を目指したが、民主党政権は中国に媚び朝鮮に媚び、自国の現体制と歴史・伝統・社会を破壊しようと企んでいる。一緒にされてはナチスの方が迷惑するだろう。


「政治主導」で官僚と行政組織を運営するとしながら、実は官僚べったり、都合が悪くなれば責任回避、他者に責任押し付け・・・これが民主党「政治主導」の極意。


私たちは、二十一世紀に極東で出現した「似非ナチス党政権」を放置しておいてはならないのである。


【尖閣】民主「政治主導」の極意は「責任回避」
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