2011年5月17日火曜日

電力の発送配分離は電力会社の進化にもつながる

2011年05月17日17時32分
大西宏

経営の考え方でしょうが、企業の進化よりも安定を願えば、電力会社の地域独占はすぐれた企業の資産です。イノベーションをはかることは必要なく、効率化と安定を追求すれば良いだけの経営になります。

しかし、見方を変えると、競争のない、あるいは競争をコントロールできる独占体制は、企業体質の弱体や腐敗をも生み出し、企業の進化を阻害します。

今回の福島第一原発事故対応での東電の経営者あるいは広報の人たちの姿や行動は、企業規模の大きさと比べて、いかに頼りなく危ういものであるかを感じさせました。地域独占の企業の脆さそのものがでてしまったように感じます。

効率や安定のためにリスクを避けることには長け、正しい情報を流さない、「法に違反しない、リスクを避ける」という間違ったコンプライアンスに徹してきたこと、またむなしく事故現場と遠く離れた本社ビルで会見が繰り返されたことは経営中枢がいかに現場力にも現場感覚にも欠けるかをも示しました。まるで映画「踊る大捜査線」さながらの光景です。

さて、福島第一原発事故により、また原発に変わる代替エネルギーの開発の必要性の認識が急速にたかまるとともに、再び電力自由化、それを進めるための電力会社の発電、送電、あるいは配電の企業分割が話題となってくるようになりました。

電力自由化、企業分割で感じるのは、かつて電力会社も危機感と緊張感のあった時期もあったことです。

それは、電力自由化の世界的な流れ、また企業分割の流れにどう対処するか、その結果競争によって独占体制が崩れ、その結果発生する余剰人員をどう吸収するのかに備えるようとしていた頃のことです。だから、経営の多角化に踏み込んでいたのです。

その一例が光ファイバーによる情報通信分野への進出でした。東電はその経営がうまくいかず、KDDIに事業を譲渡しましたが、関電系列のケイオプティコムはeo光のサービスでNTTにつぐ地域シェアを占める特異な存在となっています。

しかし、その後のさらなる原油の高騰と地球温暖化の対するクリーンエネルギー化の流れで、原発政策が一段と進められ、電力会社の分離の話はたち消えてしまいました。電力会社の地域独占を残し、そのコントロール下での電力自由化でしかなくなったのです。

さて、電力会社の発送配の機能による分離や自由化のハードルは高いでしょうか。いえ、さほどハードルは高くないと思います。もともとが企業分割に備える準備を行っていたので、企業分割によって経営がどうなるのか、またどうあるあるべきかを考える人材もいるはずです。残されているのは政府の決断と決定だけだと思います。

各企業や家庭がその時点でどれくらい電力使用しているのかを把握し、電力需給を自律的に調整するスマートグリッド化も案外早く実現できるのではないでしょうか。

ご存じない方も多いと思いますが、電力会社の送配電網には、光ファイバーが併設されています。それは電力の消費と供給のバランス調整、あるいは事故による停電時などの際に迂回するルートをコントロールするためのもので、すでに電力は高度に、おそらく世界的に見てももっとも進んだインテリジェント化が行われています。あとはそれと各企業や各家庭を結ぶだけで、さほど難しい課題とは思えません。

電力自由化が重要だと思うのは、首都圏のように多くの企業の本社機能が集積し、また人材も集まっているのとは異なり、他の地域では、電力会社の存在の大きさや影響力は小さくありません。

各地域の電力会社が活性化し、さまざまな新しいサービスを生み出す攻めの存在になるのか、現在のように地域独占のなかで堅実な守りのインフラ企業として残るかでは地域の活性化にも大きな違いになってきます。おそらく東電よりも関電のほうがすこしでも多角化が進んだのは、関西は大阪ガスの存在が大きく、エネルギーをめぐっての激しい競争が繰り広げられてきたからでしょう。

電力自由化は、政府決断だけの問題です。東電の賠償スキームも発送電分離を視野に入れたものにすべきでしょうし、その準備のための人材が不足しているのなら、電力会社から自由化のあるべき姿やスキームを描ける人材を抜擢すればいいのではないかと思います。そういった人材のほうが現場のことも分かっているのではないでしょうか。