2011年5月12日木曜日

浜岡原発停止をめぐる櫻井よしこ氏の詭弁

2011年05月12日13時13分

今日の産経新聞「菅首相に申す」は、執筆者の櫻井よしこという人が、どういう思考方法の持ち主かを分析するのにうってつけである。

「浜岡停止要請の根拠」と題したその一文は、「菅直人首相が突然発表した中部電力浜岡原子力発電所の停止要請は、福島第1原発事故で生じた強い原発忌避の世論に巧みに訴えかける運動家としての面目躍如の決断だった」と語り始める。

つまり、浜岡原発の停止は、国家、国民の安全、安心のためでなく、市民運動家出身である菅首相の政治的パフォーマンスに過ぎないと言いたいわけだろう。

たしかに、菅首相がそういう一面を持っていることは、小沢一郎氏を排除することで政権浮揚をはかろうとした浅薄さからもうかがえる。

しかし、浜岡原発を今ただちに停めることの意味を過小評価し、矮小化してはならない。

そもそも、収束の見通しがきかない福島第一原発放射能汚染が、どれほど多くの前途ある子供たちや若者の生命を脅かしているかについて、櫻井氏は熟慮したことがあるのだろうか。

いま福島第一原発で行われている作業は、冷却を続けることによってひとまず水蒸気爆発などの破局を避けるためであって、完全に原子炉を封じ込めるには何十年の歳月を必要とするのである。

その間、原発で作業をする人はもちろん、どれだけ多くの国民が放射線を浴び、放射性物質を吸い込んで、発がんリスクを背負い込むことになるだろうか。

少子高齢化が進むこの国が、物質的な贅沢から、心豊かな成熟を求める社会へと変わってゆくためにも、健やかな子供たちを育ててゆくことがわれわれ大人の責務である。

そうしたなか、歴史的にも、地球の岩盤の力学からも、大地震の直撃を受ける可能性が最も高い浜岡原発について、とにもかくにもリスクを軽減しておこうという判断はあまりにも当然であり、地震活動期に入ったことを考え合わせるとむしろ遅すぎるくらいである。

櫻井氏の言う「強い原発忌避の世論」は、むしろ政府、マスコミ、電力会社の広報・広告・宣伝による原発安全神話から抜け出したという意味で、国民の多くが洗脳による思考停止から覚醒した状態とみることができる。

さて、それでは次の文章から櫻井氏の論理の展開を検証してみよう。
浜岡原発停止要請の根拠は「30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫している」ことだと首相は述べた。首相が引用したのは文部科学省地震調査研究推進本部の数字だった(中略)その中に興味深いもう一つの数字がある。(中略)福島第1原発の確率は0・0%、福島第2原発は0・6%となっている。今年1月に発生率0・0%と分析されていた地域に、3月、マグニチュード9・0の大地震が発生したのだ。(中略)震源区域と見られていない場所で巨大地震が起きたことを考えれば、危険なのは浜岡だけで、他は安全だという首相の言葉の信頼性を支えるものではない
どうやら櫻井氏はこう言いたいらしい。「福島は地震の確率がゼロだったのに起きたのだから、危険なのは浜岡だけではなく他の原発も同様だ。だから、浜岡だけを停止するのはおかしい」。

それはその通りで、本来なら、地震国日本は、すべての原発を停めるのがのぞましい。

しかし、現実的にそれが難しいとなれば、歴史上何度も大地震を繰り返している場所を最重視し、首都圏至近の原発に潜在する国家的リスクをひとまず取り除こうと考えるのは、人間にそなわった自然の防御反応である。

そもそも櫻井氏は危険の程度を選別せずに生きておられるのだろうか。危険はどこにでもある。そのなかで、より安全な道を選び、危険といわれる場所を避けて通っているのではないのだろうか。

著名ジャーナリストや知識人の詭弁ほど、国家にとって危険なものはない。

  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

http://news.livedoor.com/article/detail/5552167/