2011年7月7日木曜日

現在私たちが見ている日本の報道の実力が、彼らの最高実力

地震、津波、原発事故と3つの国難級クライシスが束になって来た「3.11」より深刻な危機は戦争くらいしかない、と以前書いた。政治家にしろ、官僚にしろ、報道にしろ、これ以上はない「最苛烈条件」(=ミッションクリティカル)での実力が今試されている。ゆえに、現在私たちが見ている日本の報道の実力が、彼らの最高実力である。いくら「次はもっと頑張ります」と言っても、もう「次」はない。

 これまで積もりに積もった報道の問題点が「3.11報道」というテーマで形を伴って毎日の紙面に表れている。その結果に満足しているという読者はむしろ少数だろう。その意味では3.11は報道の問題を例示するのに絶好の機会である。

 後世の記録に留めるため、その問題を今後しばらく書いてみよう。特に、地震と津波の被害が一段落し、福島第一原発が膠着状態に入った5月以降、どの社も「ネタ枯れ」を起こしたのか、問題が如実になってきた。

 その1つは「人まね記事」「パクリ記事」である。

 ある新聞や通信社、テレビ局が報じたネタを他社がマネし、それを各社が延々と反復し続けることだ。危急の事件や事故、あるいはよほどの特ダネなら各社に同じ記事が出ているのも道理なのだが、のんびりとした「街ダネ」「ヒマネタ」まで各社似た記事が続々と出る。いわゆる「横並び記事」だ。同時に取材に行けば「横並び」なのだが、実はそうでもない。他紙や他局に出ているのを見て、取材に行く。そんなことも多い。穏やかに言えば 「人まね」、ありていに言えば「パクリ」である。

 どの紙面・番組も似たり寄ったりの文や写真、動画が並ぶので、多様性が損なわれる。どの新聞や番組も「画一的」「均質的」になる。内容が似ているので、私は揶揄を込めて「コピペ記事」と呼んでいる。

 私がこうした各社が似たような記事を延々と掲載しているのに気づいたのは、陸前高田市の通称「一本松」だ。津波に耐えて1本だけ生き残った防潮林のマツが、復興のシンボルとして被災者に珍重されている、という美談である。

 いずれも、津波の中で1本だけ残った松を取り上げた、よく似た記事である。特に毎日と読売では、似たようなマツの写真が似たような文の記事につけて掲載されている。「ほぼ同じ」と言ってさしつかえがない。しかも、朝日~毎日~読売と連日「陸前高田市のマツ」ネタが6月6~8日に集中した。3紙を購読している私は「これはもう読んだはずでは」と大混乱した。

 おまけに「津波に耐えて生き残ったマツが復興のシンボルとして珍重される」というニュースを、陸前高田市以外でも記者がマネし始めたのか、今度は岩手県田野畑村で「夫婦松」が登場する(6月10日、朝日新聞夕刊)。これだけマツネタが続くと、もうどれがどれだか分からない。

 インターネット以前なら、一般読者で複数紙を購読している人は(私のような職業上の必要がある者以外は)まずいなかったので、こうした「人まね記事」はバレることも少なかったし、害もあまりなかった。しかし、今は状況が違う。検索ですべての記事が一覧できてしまうのだ。

 例えば「グーグルニュース」に「陸前高田 津波 松」のキーワードを入れて3月11日から90日間の指定で検索してみると、なんと60件もの記事がリストアップされる。3日に2日はどこかのテレビ、どこかの新聞が陸前高田市の一本松をニュースにしていた計算になる。これはあまりにひどい。朝・毎・読といった全国紙はもちろん、東京(中日)新聞、西日本新聞、岩手日報、時事通信と入り乱れて、誰が「元祖」なのかも、もう分からない。

 もちろん「たまたま同じニュースがあって、各社が取材に行って重なっただけ」ということもある。私の記者時代の経験でもそういうことはあった。しかし、それならせいぜい1、2回の掲載だけでいい。

 かつて私が新聞記者だったころ(1990年代前半まで)のことだ。社会部の泊まりで当番デスクの隣に座っていると、24時ごろに「交換紙」が届く。他社の新聞(早版)をお互いに交換するのだ。

 そこで他紙にそっくりのネタや、そっくりの写真が使われているのを見つけると、デスクはたちどころに機嫌が悪くなった。そして、写真部と整理部(紙面レイアウト担当)に電話すると「ヨソさんと同じだよ! 何か替えないの?」と言って写真を差し替えさせた。

 まだ「他社と似たような」記事や写真が掲載されているのは「みっともない」という認識が社内で共有されていた。独自ダネを探す努力や独自性はもちろん、何の工夫もないのが分かるからだ。近ごろはこうした「美風」もすたれたようだ。

 かつて「他社と同じ」ことが分かるのは、こうして複数紙を隅から隅まで読み比べる報道業界はじめ、特殊な「情報業」の人たちだけだった。しかし、今はグーグルはじめ検索エンジンさえあれば学生だろうと主婦だろうと、過去にまでさかのぼってすべてが列挙されてしまう。

 そんな時代になってもなお、いや、そんな時代である3.11以降になってまた一層、記者も編集者(デスク)も「他社と似たような記事」を延々と載せ続けることを許容する感覚が私には理解できない。惰性が止まらないのだろう。


- 大手新聞はいつからパクリ体質に?見事に横並びの「一本松」記事  JBpress(日本ビジネスプレス)