2013年8月25日日曜日

はだしのゲン「閉架」再協議へ

はだしのゲン「閉架」再協議へ

 島根県松江市教育委員会が、市立小中学校に漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を求めた問題で、異論、反論が噴出している。市教委は昨年12月「一部に過激な描写がある」として、教育長らの判断で各校に閉架措置を要請していた。昨年12月に死去した作者中沢啓治さんの妻ミサヨさん(70)は「驚きました。平和を訴えてきた主人も怒っていると思います」と対応に疑問を投げかけた。松浦正敬・松江市長(65)も「教育委員会で協議すべきだった」と苦言を呈した。市教委は明日22日、閲覧制限の是非をめぐり、会議を開く。
 「主人は、いかに戦争が残酷か、やってはならないことかを見せるために描いた。『ずっと平和を訴えてきたんだぞ、戦争はそんなきれいなものじゃないんだぞ』と怒っていると思います」。中沢さんの妻ミサヨさんはそう話した。
 「はだしのゲン」の閉架措置は、当時の教育長ら事務局の判断だった。市教委の古川康徳副教育長によると、学校の図書館から作品の撤去を求める市民の陳情が昨年8月にあり、当時の教育長、副教育長2人、課長2人の5人で協議。昨年12月の校長会で「子どもだけで見るには一部に過激な描写があり、教員のフォローが必要」との理由で、各校に閉架措置を要請したという。
 市教委教育総務課によると、閲覧制限の要請は、教育委員の承認が必要な重要事項には当たらず、教育長の判断で決定できるという。一方で、今回の問題を受け、22日に教育委員が参加する教育委員会会議を開き、閲覧制限の是非について、協議することを決めた。
 ミサヨさんによると、中沢さんは、6歳の時の被爆体験に加え、原爆の資料を読みあさって作品を描いていた。「子どもたちに見せられるのはここまでだな」「それでも最低限ここまでは、戦争、原爆の悲惨さ、残酷さを教えなくちゃな」と、表現の推敲(すいこう)を重ねて作品を描いていたという。
 一部表現が「過激」として閉架措置を決めた松江市教委の対応について、ミサヨさんは「読みたくない子どもは読まなくていいでしょうし、ちょっと待てよと思ったら、大人になって読み返すのもいい。ただ、なぜ今どき、閉架なのか。信じられない」と話した。
 1975年から単行本を出版してきた汐文社の政門一芳社長(57)も、被爆者の皮膚がやけどで垂れ下がったり、体にウジがわいたりしている様子の描写について「ショックだと思う。しかし、戦争の恐ろしさ、原爆の悲惨さにショックを受けるのは正常な感覚ではないか」と指摘。「多くの読者が原爆を知るきっかけになってきた作品を、子どもの目から遠ざける措置には驚いている」と話した。
 松江市の松浦市長は今回の閉架措置の経緯について、「教育委員会会議を開いて議論すべきだったのではないでしょうか」とコメント。「市議会は陳情を不採択としており、(教育委員会は措置について)市議会に報告すべきだったのではないか」という見解を語った。【清水優】
 ◆はだしのゲン 広島市出身の漫画家中沢啓治さんが自身の被爆経験をもとに描いた。廃虚と化した広島で、たくましく生き抜く中岡ゲンとその家族を描いた。1972年に集英社「月刊少年ジャンプ」に同作の原型となる「おれは見た」を掲載後、73年から「週刊少年ジャンプ」で連載。単行本は汐文社から全10巻発売された。教育の現場では平和教材として利用され、実写映画、アニメ映画、テレビドラマ化もされている。また、英語やロシア語など20カ国語に翻訳され国内外で1000万部以上が発行されている。
 ◆「はだしのゲン」閉架措置の経緯 昨年8月、市民から「間違った歴史認識を植え付ける」として、松江市の小中学校の図書室からの撤去を求める陳情があった。市議会は昨年12月、満場一致で陳情の不採択を決定した。一方、松江市教育委員会は昨年12月、当時の教育長ら事務局で対応を協議。作品の内容や各学校での利用状況を調査。同月の校長会で、学校側に本棚ではなく書庫に置く「閉架措置」を取るよう要請。各校が応じた。
 [2013年8月21日8時20分 紙面から]
----
にほんブログ村 ニュースブログへ