「バチカンの豪華さに対するアンチテーゼ」。伊メディアは法王選出後、ベルゴリオ氏の過去の取り組みをこう報じた。
イタリア系移民の家庭に生まれたベルゴリオ枢機卿は化学技師を目指すも病気で片肺を失い断念。22歳でイエズス会に入り、1998年からブエノスアイレス大司教を務める。大司教用の居宅を使わず、アパートで暮らし、自炊もする。移動にはバスなど公共交通機関を使う。
教義の問題に集中するより、教会活動では社会奉仕を重要とするのが信条。自らスラム街を回って人々と接し、同僚の司祭らに対しても「外に出て兄弟と交流を図れ」と求める。その姿勢は、閉鎖的な世界で内部闘争も指摘されるバチカンとは一線を画す。
実際、新法王はバチカン執行部で働いた経験はなく、内部闘争とも無縁。後継選びでは、バチカン改革を目指す勢力と内部の「官僚派」が対立したが、しがらみがないところも支持を集めた理由の一つとされている。
またベネディクト16世を選出した2005年のコンクラーベでは、2位の得票だったとされ、同僚からの信頼は厚かったようだ。
メディアのインタビューを受けず、穏健な態度で知られる。アルゼンチンではかつて軍事政権に厳しい態度を取らなかったとしてカトリック教会への信頼は低下したが、新法王は権力批判も辞さない姿勢だという。
法王名の由来、「アッシジの聖フランシスコ」は財産をなげうって宗教活動に取り組んだ。その思いについてバチカンの報道担当者は「教会に『奉仕する』という姿勢。権力とは対極の概念だ」と推察した。