2011年5月23日月曜日

余録:スイスのある村の牛飼いの子がよそ者に時間を聞かれた…

 スイスのある村の牛飼いの子がよそ者に時間を聞かれた。すると牛のおっぱいを手で持ち上げながら「10時だよ」という。別の時に行っても同じくピタリと時刻をあてた。少年は評判になる▲科学者が調査を始めたが、理由は分からない。仕方がなく「どうして牛のおっぱいの重さで時間が分かるのかね」と少年に尋ねた。「そんなの簡単だよ。おっぱいを持ち上げると、向こうの時計台が見えるんだよ」(安斎育郎著「だます心 だまされる心」岩波新書)▲思い込みのおかしさを示す笑話である。さて当方の技術者の思い込みによる見当違いは、肝の冷える恐怖譚(たん)となった。福島第1原発で冠水が進んでいると思われた炉から実は大量の水が漏れており、燃料の大半が溶融していた件だ。それらに伴う工程表の改定があった▲はなから見通しが甘いと批判のあった原発事故収束の工程表だった。燃料溶融と新たな水漏れの判明は、炉を冠水させて冷温停止に導く「水棺」化のシナリオを大きく狂わせた。だが改定工程表は汚染水循環システム構築などによる期限内収束を可能と見込んでいる▲もとより原発周辺住民には工程表自体をまだるっこしく感じる避難生活に違いない。一刻も早い収束は誰もが望むが、もうこれ以上の事態悪化を招くような思い込みがあってはいけない。工程表の予期しない事態にも柔軟に対応できる心組みがますます求められる▲人間が考える想定や計画を次々に裏切っていく原発事故だ。目の前の見かけ上の現象や自分に都合のよい推論に心を奪われ、その向こう側の真実を見逃した笑話の科学者のような失敗はもう許されない。

毎日新聞 2011年5月18日 東京朝刊